《波のした、土のうえ》又名海波之下,土地之上 (台)、Under the Wave, on the Ground。
大津波から丸4年とすこし。それぞれにとっての4年間があったと思います。津波に洗われた東北の沿岸部にも、東京にも関西にも**にも、どこに暮らす人びとにも、それは同じようにあったでしょう。 私たちは東京の大学院生だった2011年4月に初めて東北の沿岸部を訪れ、地域の人たちに助けられていく体験を通して、「ここに生きている人たちの声を誰かに届けたい」と考えるようになりました。そこで、時間や距離を越えて声を届ける方法として、「記録」に向き合い始めます。 2012年春には岩手県の沿岸に位置する陸前高田市に拠点を移し、その土地のなかで暮らすことを選びました。 私たちはただただ、日々変わっていく風景を目の当たりにしながら、陸前高田の人びとに話を聞かせてもらいながら、4年間の移り変わりの傍らに身を置き続けました。私たちの作品は、この土地と、この土地に生きる人びとの声を...
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捕风。 2022-01-02
通过**者的声音让全部消逝的地方再次重现,把他们的经验再次传递给世人。画面跟文本不再是同步地,声音在这里更多表现了一种过去对现在及未来的基于经验的事实叙述;无论是海啸、疫情、地震、所有灾难过后的留下的空虚感跟失落感是人类所共通的。
NanSLi 2021-12-18
人声的叙述部分有点像Shuhei Hatano)海浪之声像是死者借助回忆来重现,这里则是用生命的视点来回馈一些本应死去的静物。
aRaRaR 2018-12-20
日文研研究会请了两位过来 非常喜欢她们的作品 有点师承滨口龙介和酒井耕 东北记录三部曲的意思 但是女性作者的细腻很棒 之后交谈了一下 觉得两人扎根东北搞创作腻害!小森是越走越好 seo 是走美术作家路线。
sink3000ing 2022-01-02
看似工整的3段采访暗藏锋芒。特别是头两段影像,难免让人产生标题下反了的错觉。难道第1段采访的小标题「置き忘れた声を聞きにいく」不正好呼应了第2段保存在SD卡里那几位社区老人(**者寥寥)311前对酒当歌的happy hour,而第2段的小标题「まぶしさに目の慣れたころ」又刚好提醒观众,千万别忘记第1段里那面被平放在荒地表面压根儿就不具备任何指代功能的路标(311前,这里曾是餐馆「和食-味彩」的所在地),以及它正准备接受暴晒时的样子。导演无意间展示的「交错配列」式修辞,在意义的多重延迟下,才逐渐开始萌发出来自肉声和肉身的双向生机。
不吃糖 2023-08-07
瀬尾さん以第一人称写出的文字,由当事者朗本人读出来。文字里出现的“我”、朗读者本人以及已经不在的逝者,通过影像和声音构成了复数型的“第一人称”。小森さん的镜头总是能以一种温柔的视点将疏离感和日常感同时记录下来。