佐倉両総十二群の領民は、領主・堀田上野介正信の過酷な年貢の取り立てに苦しんでいた。公津村の名主・宗五郎を代表とする百姓たちの嘆願もむなしく、城代家老・堀田玄蕃はさらに年貢の二割増を命じ、続いて桝屋儀兵衛に、定量以上の米が入る「仕掛け桝」を作らせた。 しかし、百姓たちに桝の仕掛けが見抜かれたため、玄蕃は桝を役人に命じて壊させ、儀兵衛をも殺害した。その上、儀兵衛の娘で、今は正信の側室・八重に、儀兵衛殺しの下手人を宗五郎だと偽った。 百姓たちは怒り、城に討ち入ろうとするが、宗五郎たちは流血を避けるため、一同に城主・正信への直訴を提案した。こうして宗五郎は、十数名の百姓と連れ立って、正信のいる江戸屋敷を訪れた。しかし、宗五郎を父の仇と信じている八重の訴えで、正信は宗五郎たちを捕らえようとした。 その危機を脱した宗五郎は、将軍への直訴を決意し、故郷の妻子に別れ...
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